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祝福と呪詛のあいだで/災害または救済としてのキラーコンテンツ考(高階記)
2016年 07月 24日 (日) 10:28 | 編集
かつて家庭用ゲーム機が登場し、普及し始めた頃よく言われたのが、「テレビ画面に何が映っているか、これからは時間の奪い合いだ」みたいな話だった。
 
初期のテレビは、いまで言うところのアナログ地上波しか映らなかった。争いはテレビ局間に限られていた。やがてゲームが映る時間が増え、衛星放送だのケーブルテレビだのが映る時間が増え、ネットも閲覧できるようになり、各者入り乱れての「時間争奪戦」になっていった。
 
いま起きているのは、それのスマホ版だ。
 
その画面に何が映っているか。自社のアプリやらサイトやらが、できるだけ長時間表示されたい!という人たちがいる。表示時間を増やすために高い広告費を払って誘導し、利用させようとする。長く表示されることで今度は自分たちが媒体になって広告掲載料をとったり、長時間、ディープにプレイしてもらうことでアイテム課金で稼いだり、そういうビジネスモデルでやってきた。彼らにとって「ポケモンGO」はまさに悪夢の始まりにほかならない。
 
   *
 
想定外の破壊力を持ったキラーコンテンツの登場は、スマホアプリ業界の住人にとっては、計り知れないパワーで襲った激甚災害だと言って言い過ぎではないだろう。
 
広告費に換算したらいくらになるのか考えられないほどのニュースが、ネットで、テレビで、新聞で、その他のメディアで、がんがん流れて、いまや「ポケモンGO」という単語を知らずに生きていくのが難しいほどの有様だ。他のアプリの出番はなきに等しい。彼らのいままでの努力がたった1日で(ほんの一瞬でと言うべきかもしれない)吹き飛ばされてしまった。
 
いや。「他のアプリの出番」どころじゃない。
 
参院選とか、都知事選とか、熊本とか、高江とか、テロとか、パナマ文書とか、保育所とか、改憲とか、集団的自衛権とか、どの一つを取っても語り尽くせないような数々のテーマが、人々のマインドシェアのはるか末尾に追いやられてしまいかねない状況だ。
 
輝かしい成功を収めつつあるゲームアプリには素直に祝福を送ろう。けれど同時に、その「輝き」の陰で蓄積されるであろう呪詛のこともはっきり意識しておきたい。それを忘れて「輝き」に見とれてしまうのはあまりにも危険に思える。
 
   *
 
一方で、ここまですさまじいパワーを持ったものが現れた以上(上にも書いた通り、それはもう甚大な自然災害に匹敵するパワーだ)、その力を上手に利用して、さまざまな課題解決に役立てるという視点もあっていい。チャリティ的な課金アイテムが生まれるかもしれないし、投票率を高めるインセンティブが投票所に現れるかもしれない。
 
先日紹介した自閉症スペクトラムの傾向を強く持つ子どもに与えた影響のこと、保健所のイヌが殺処分を免れた話などなど、思いもよらない「好ましい効果」もどんどん出てきている。それを大事に育てていく流れも生まれるだろう。「呪詛」もまた、今までとは全く違う新たなチャンスの入り口を教えてくれるのではなかろうか。
 
iPhoneアプリ開発に関わる者のはしくれとして、災害と決めつけるでなく、救済と決めつけるでなく、この破壊的なエネルギーとどう向き合うか、考えたい。

※この記事は、「小倉さんは考えた/ポケモンGOに殺されるアプリ市場と広告市場」の指摘に感銘を受けて書きました。ありがとうございます。
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10年ぶりの鬼の首方面(高階記)
2014年 09月 18日 (木) 07:58 | 編集
鬼の首を取ったような振る舞いというのは醜く見苦しいものだ──このことは今までにもあちこちで書いたり話したりしてきたのだけれど(このブログでも10年前の2004年に同じテーマで書いている)、どうやら、このテーマは何度でも書かざるを得ないらしい。
 
最近で言えば、ここぞとばかりに朝日新聞叩きをしているメディアの多くがこれまでにやらかしてきたことを考えると「どの口でそれ言ってるんだ?」と思わせるものばかりだ。誰かのブログに書いてあった通り、いま起こっているバッシングはちょっと離れて見れば「目くそ鼻くそを笑う」構図にしか見えないし、結果的にマスメディア全体のダメっぷりをさらけ出して業界丸ごと自滅に追い込んでいるようにさえ見える。
 
もちろん、このところの朝日新聞の状態は無様だ。偏向報道と言われても仕方がないような質の低下があったのも事実だと思うし、この機会に本気で体質を見直して生まれ変わるべきだと思う。ただしその時めざすべき姿は、鬼の首を取ったような、あさましく見苦しい振る舞いをするメディアではない。そんな質の低いメディアと同じになってもらっては困る。この逆境をきっかけに、今より少しでもマシなメディアが日本に生まれることを祈りたい。
 
それにつけても、鬼の首を取ったような物言いは醜く見苦しい。

※10年前のブログでは「自分の意見に都合のいいニュースに飛びつく評論家的態度」の話をしていて、今回は「自分のことを棚に上げて競争相手の鼻くそを袋叩きにする目くそ」の話をしていて、同じ「鬼の首」でもちょっと違うことに気づきました。
【「普通救命講習」履修のススメ】(高階記)
2014年 05月 18日 (日) 16:08 | 編集
本日、朝の9時から12時まで、途中10分間の休憩をはさんで約3時間の「普通救命講習」を修了しました。これね、義務教育の締めくくりに中3くらいで全員が受講すべきですよ! 身近な人には「受けるといいよ」ってどんどん勧めたいと思いました。

言ってみれば、「人の命を救うための、誰でもできるものすごく実用的な手技」が、たったの3時間、たったの1400円で身につくんです。人生の中で3時間、1400円を使って全国民がこれを体験していれば、心肺停止後に社会復帰できる人の割合が格段に増える、極めて有用な講習です。オススメします!

何をやったかと言うと、【救命処置】として、
(1)心肺蘇生法(胸骨圧迫と人工呼吸)
(2)AEDの使い方
をみっちり実習型式で。
(3)喉を詰まらせている人(意識あり)への対応
についてもじっくり解説。その他の【応急手当】ということで
(4)止血法
に関する基本的な考え方の解説と実技の見本を学びました。記憶に止めておくために、ちょっと詳しく書いておきますね。

   *   *   *

会場に着くと実習に使う上半身だけのマネキン(ちゃんと胸骨圧迫ができるし、人工呼吸もできる。実習用のAEDにも対応している)が6体横たわっていました。

受付で1400円を払うと、テキストと実習に使う人工呼吸用マウスピースと登録用の情報を書き込むシートを受け取り、シートに記入後お願いすると領収書も出ます。

ぼくが受けた講習は、田園調布消防署で開催されたもので、消防署からは救急隊長さんが1名立会い、講義そのものは東京防災救急協会からやってきた講師さん(2人いて1人はアシスト役)、20名の定員に対して参加者は16名(男性8名、女性8名)という形。

前半約80分で(1)心肺蘇生法について学び、胸骨圧迫を2回、人工呼吸を1回。周囲の安全確認から始まり、倒れている人への呼びかけで反応を確認し、周囲の助けを求めて119番通報と、AEDを持ってくる人を具体的に指名してお願いすること、呼吸のチェック(6カウント10秒以内の判断)、胸骨圧迫の開始。マウスピースを所持している場合は人工呼吸(ためらわれる場合は胸骨圧迫のみでOK)。

ちなみに「胸骨圧迫」とは、以前は「心臓マッサージ」と呼んでいたもののこと。でも「心臓マッサージ」では、実際に行う動作をイメージできないことから、より直接的に動作を示す「胸骨圧迫」に名称変更したのだという。これは「言葉のリデザインによる改善」といえるだろう。

後半約60分で(2)AEDの使い方を学ぶ。実技は、胸骨圧迫の最中にAEDが届くところから始まる。AEDを持って来てくれた相手に胸骨圧迫を交代してもらいながら、相手に指示を出し打つ自分でAEDを開けて音声に従って使う流れを体験。3人1チームになって「AEDを使う係」と「AEDを届けて胸骨圧迫を代わる係」を交代。最後は3人一緒に実習。通常AEDのパッドをつけるべき場所にペースメーカーがついていてパッドを貼れない、また、体表が濡れていてそのままパッドを貼れないといった応用編への対応と、胸骨圧迫を交代で行う訓練。

ラスト30分がほぼ座学で(3)喉を詰まらせている人(意識あり)への対応と(4)止血法。ちなみに胸骨圧迫と人工呼吸について厳重な注意事項として「家に帰って家族相手に試したがる人が必ず出てくるけれど絶対にダメ」というのがおかしかった。正常に心臓が動いている人相手に胸骨圧迫をやると不整脈を誘発したり、時には骨折を招いたりするからということだが、つまりまあ、過去にやった人がいるわけだ。

   *   *   *

以下、何から順番に手をつけるべきか、優先順位に迷わないようにメモ。

(1)と(2)は、呼びかけても反応もなく呼吸もしていない人(心肺停止状態)、つまり放っておくと数分で脳損傷(酸素)で社会復帰が困難になり、さらに放置すると死に到ってしまう人が対象。文字通り、命を救うための処置です。救急隊員に引き継ぐまで、もしくは傷病者が自分から動いたり自発呼吸したりするなど心肺蘇生に成功するまで続けるもの。

(3)はいわゆる喉が詰まって息ができない状態の人に対して、意識のある間にできること。この人が意識を失ったら、上記(1)(2)の世界に入ってしまうので、そうならないように気道に詰まったものを取り除くのが目的。意識を失ったら(1)(2)に移行する。

(4)は失血死や失血による臓器不全を防ぐための処置。見た目は派手に血を流していても心肺停止の場合、数分で死に到るので基本的には(1)と(2)が優先される。ただ大量に失血すると臓器不全になったり失血死にいたるので要注意。動脈性出血(心拍に合わせて動脈血がどばどば出ている場合は心臓が動いている証拠)の時はすぐ止血する。
ぼくの涙もあんな風に無重力でまるい粒になって空間に漂って行けばいいのに。
2014年 04月 27日 (日) 22:39 | 編集
GRAVITY_01.jpg

2014年3月2日。『ゼロ・グラビティ(GRAVITY)』(アルフォンソ・キュアロン監督)の感想をFacebookに書いた。4月の末に砂の上の企画のみなさんとおしゃべりをしていたら、この映画の話になった。そして主宰の司田氏がこの感想のことを覚えていてくれて、自分でも「あー、あれ、興奮して書いたなあ」と思い出したので、ここに再録する。以下は、3月2日、興奮冷めやらぬ状態でぼくが書いたものです。

     *     *     *

宣言通りネタバレ全開で書く。でもそれじゃ観てない人に不親切過ぎるので、最初はネタバレにならない話(どうでもいい話ともいう)から書く。公開されてからこのくらい経っていれば、関心のある人なら知っているであろう情報程度で、書けることを書く。

まず、この映画の感想は、

ぼくの涙もあんな風に無重力でまるい粒になって空間に漂って行けばいいのに。

という一言に尽きる。たぶんこの一行で全てだと思う。

以上。終わり。

としてもいいくらい。

でもまあ、もうちょっと書こう。

「涙」のことを書いたから付け加えると、別に泣ける映画がいい映画ってものではない。これでもかこれでもかと泣けるモチーフを提示されて想定通り泣かされるけどしょうもない映画というのはあるし、涙腺的にはぴくりともしないのにクラクラするほどいい映画もある。

『ゼロ・グラビティ』に関して言うと、泣けた。無重力を見事に表現した特撮映像が話題になって、予告編の段階から手に汗握るスペクタクルシーンがあって、スペースシャトルとか、ISSとか、神舟とか、デブリとかが出てきまくるSFパニック映画(あ、いや、厳密にはもうこれはSFではないか。WikipediaではSFヒューマン・サスペンス映画と書いてあった。なんだそりゃ)を見て自分が泣けて泣けて仕方なくなるなんて想像もしなかった。

もうちょっと、どうでもいい話を。

思わずパンフレットを買ったという話。ぼくは気に入った映画に限ってパンフレットを買うことにしているのだけれど、今日は映画を見る前にパンフレットの値段を見てしまって「800円! 高え! あ。この時点で高いとか思ったら、きっと買わないよなあ」と思っていたのだが、映画を観終わるなりいそいそと売店に足を運んで買ってしまった。

まあ、そういうわけだ。もう、そんなにネタバレなしの与太話を書き続けるわけにいかない。だからネタバレを嫌う人はここで離脱してくれたまえ。いいかね。悪いけど全部書くよ。すでに映画を観た人はこれを読むともう一回観た気になれるくらい全部書くよ。

それでは参ります。

     *     *     *

いきなり遠慮なく肝心なシーンから書くけど、マットが戻ってきたシーンは、そりゃもうすぐにわかりましたよ。そういうことだってね。だってあんなことしたら、あんなハッチの開け方したら、ライアン、生きていられるわけがないじゃないですか。でも生きていた。そしてマットったら何ごともなかったかのように飄々としてウォッカを取り出したり奇想天外なことがあったんだとテキトーな説明をしたり、生還のための重要な情報を伝えたりして。一瞬「おや?」と思うけど「いやいやそうじゃない」ってわかっちゃうじゃないですか。この時ライアンは酸素濃度も下げてるし、そりゃもう幻覚に決まってるじゃないですか。マットなんて本当はいない。でも、もう、何かそのあたりからぼくは涙が止まらなくなりましたね。スピリチュアルにいえばマットが助けにきたとも取れるし、心理学的にいえばライアンの中の生きようとする意思が解決策を示したともいえる。でもね、そんなのはもうどうでもいいんですよ。マットが一瞬助けにきてくれたのでも、ライアンの生の本能が働きかけたのでも、アルフォンソ・キュアロンの理想が発現したのでも、そんなの何だっていいんです。あんなに美しいシーンはない。コミカルで緊張感に満ちていて愛が溢れていて生きることへの圧倒的な肯定感に支えられている。幻覚から醒めて生きる決意をしてマットに話しかけるシーンなんか、もう台詞(テキスト)の中身なんてどうでも良くて、そうやって娘との死別もけだるい無気力も諦めも全部かなぐり捨てて、たとえこのあと無事に生き延びようと、10分後に死んでいようと、とにかく帰還するためにやることを全部やると決めたライアンの「その状態」に胸揺さぶられる状態になっていた。

実を言うと、ぼくは、あの少し前の、どこの国の人だか分からないアニンガさん(だっけ)と話しているシーンのあたりから、ライアンと同じようにはらはら涙を流していた。その時にさっき上で書いた感想を思ったんですね。「ぼくの涙もあんな風に無重力でまるい粒になってこの劇場の空間に漂って行けばいいのに」って。あれも美しいシーンだった。理不尽と言うほかない形での死を迎えるにあたって、ささやかだけれど美しい救いのあるいいシーンだった。スペースミッションで耳にすることになろうとは想像もしなかった犬の鳴き声と赤ん坊の声が、彼女の最期の苦しみを少しやわらげてくれるかに見えた。

やることはみんなやったよね。と、ぼくも思った。映画館の中のみんなが思っただろう。世界中の観客が思っただろう。冒頭のデブリ来襲で宇宙空間に一人きりで放り出されて以降、「宇宙で起こってほしくないことワースト10」を順番に全部体験してきたのだから。何だか長いものの先にくくりつけられてぶんぶん振り回されて、はずれたと思ったら投げ出されて、ぐるぐる回転して、声は聞こえなくなるし、酸素濃度は下がるし、つかみたいものはつかめないし、不本意に叩き付けられるし、とがったものには警戒しなくちゃいけないし、同僚の無惨な死骸に直面するし、また勢いよく宇宙船につっこむし、やっぱりつかみたいものはつかめないし、不本意に叩き付けられるし、変なものに引っかかるし、切れちゃいけないロープは切れるし、命の恩人の命は守れないし、火事は起こるし、消火器にはふっとばされるし、頭は打つし、気が遠くなるし、炎に追い回されるし、爆発が起きるし、パラシュート引っかかってるし、離脱はできないし、振り回されるし、衝突しまくるし、中国語はわからないし、それからそれから……要するに「宇宙で起こってほしくないことワースト1000」を順番に全部体験してそれを全部乗り越えてきて、やれること全部やってここまで来て、もういいよ、ライアン、君は本当に良くやった。

そう思ったわけだ。

そしてマットがやってきて、ライアンは目覚め、最後の賭けに出た。沈没する神舟から命からがら逃れて岸辺にはいずりあがるライアンの姿は水生動物が陸上活動へと踏み出す姿を思わせた。そこで思わずこぼれる笑い声と「ありがとう」の一言。これほどの説得力があろうか。その時ぼくは気づいた。ライアンが宣言した通り、どんな結末になろうとこれは素晴らしい旅だったのだ、と。そして、ぼくはたったいまライアンと一緒にその旅を終えた所なのだと。

旅に連れていってくれてありがとう、ライアン、マット、サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニー、アルフォンソ・キュアロン。素晴らしい旅でした。
2014年4月、防災士、真夜中のSTYLE(高階記)
2014年 04月 27日 (日) 18:49 | 編集
はいはいはい。
そういうわけで私はこれから執筆モードに突入します。
書いて書いて書きまくります。他の何よりもそれを最優先します。
コピーライターとしてもうざいと言われるくらい書きますし、
もちろん個人の創作も書きまくります。
1年以上、ひょっとすると2年近くなぜか書けずにいました。
でもまあ、そういう時もあるでしょう。
これからは書くんです。読者がいなくても書くんです。ただそれだけです。

で、その前に、この1カ月ほど何だかざわざわといろんなことがあったので簡単にメモしておきます。ここに詳述するのは防災士と真夜中のSTYLEの2つのみだけど、それ以外に南三陸町での牡蠣洗いのお手伝い、仕事で決行した「大人の社会見学ツアー」、「第5回 したまち演劇祭 in 台東」にからんでの東京キネマ倶楽部や浅草花やしき座や木馬亭の内覧、越谷レイクタウンの視察、野鳥公園探訪、TimeMachineトラブル騒動、消費税8%になってからの家電購入、芝居、ライブ、演奏会、親族の集い、大詰めのホットな案件いくつかとフレッシュな案件の誕生と……。1カ月あまりの間にどれをとっても濃い体験がぎっしりてんこ盛りでした。でもまあ、ここでは直近の2つだけ触れておきましょう。

     *     *     *

一つ目は防災士の試験を受けたこと。受験生って奴を久しぶりにやりました。このネタだけでたっぷり書くことがあるので、それはまたいずれまとめます。防災士の資格を取りたいと思っている人が読んで役に立つ「防災士の受験体験記」的なものをまとめます。ハウツー的なことも書くし、受験生モードで考えたことや、防災に関わる発見や考察なども書きます。このブログや、「もしゆれ」のFacebookページなどをウォッチしていてください。

     *     *     *

もう一つは本日終了したばかりのイベント「真夜中のSTYLE」のこと。

4月26日24時、というか、正確には4月27日零時開演のこのイベント。ぼくは役者として参加。「インキュバス言語」という短編小説を元にした作品で出演しました。内容は“中年男性の性的妄想を主体として構成された”「インキュバス言語」という言語を習得したさえない中年男が、そのXXXな言葉を使って世界そのものを作り直してしまう、というか、新たに創世してしまうという荒唐無稽な話。

で、もちろん台詞は全部、人前で口にするのははばかられるようなXXXなものばかり。

この原作を見つけ出して構成・脚色した司田由幸氏によれば、
「高階さんがふだん口にしなさそうな言葉を言わせて、化けの皮をはがしてやる」
という意図のものだったそうだけど、全身全霊をこめてXXXな言葉をマシンガントークで吠えまくるのは純粋に快感でした。

実はこの作品、本来なら2月に上演するはずの演目でした。大雪のため公演そのものが延期になったため、2カ月間宙ぶらりんになっていました。そして「インキュバス言語」は、もともとは演者4人による上演を前提に書かれたものでした。ところが日程が4月に移動したことで、予定していた出演者のうち2人は東京にいないなどの理由では出演不可能ということが4月に入ってから判明。急遽1人用に組立て直し上演にこぎ着けました。

どっちみちぼくは全員の分の台詞を入れていたので、台詞を覚えること自体は問題なかったものの、本来4人用に考えていた音楽劇的な演出はそのまま使うわけにいかず、ギリギリまであれこれいじりながら調整をしていました。一人孤独に稽古するしかなく、直前に司田君に見てもらうまでは確信を持てずハラハラしつつ。

「真夜中のSTYLE」と銘打っていたのでどんな酒池肉林・阿鼻叫喚・淫靡放縦な内容になるのか思っていたのだが、蓋を開けてみればぼくの『インキュバス言語』と緊縛ショーの『こちら、ご自由にお使い頂けます』の2つだけがエロで、後は時事的・政治的だったり、むしろピュアなテーマだったり、心の陰影に触れるサイバーな幻想だったりと多種多様。

そんな中、ぼくは出演順にして2番目、エロ部門の切り込み隊長として『インキュバス言語』を上演。会場を唖然とさせてしまい、観客席には台詞にも出てきた「どうしていいやらわからない様子」が蔓延し、内心会場をドン引きさせたかと思っていたら、終演後に何人もの人から「面白かった」「落語みたいで楽しんだ」「エロ漫談最高」「表現がパワーアップしている」など嬉し過ぎるようなコメントをいただけ涙を垂れ流すほど感激した次第。やって良かった。

50過ぎの初老のおっさんとしては、通常ならもう、ふとんに潜り込んでオネムの時間に、動き回り、声を張り上げ、怒鳴り、叫び、10分間の長ゼリフを早回しで(落語の言い立てみたいな感じ)演じるなんて、無謀過ぎるのではないかと思っていたが、やってみたら案外なんとかなるもので、またこういうことをやってみたいとすっかり味を占めてしまいました。いつも真夜中にやるわけではないので(というか真夜中企画はさすがにしばらくはないだろう)、次回はまた違った路線になると思いますが、結構面白いことをやっているのでぜひ遊びに来てください。
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