クリエイティブ・ユニットLENZのblogです。
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【SFPメモ/そんなことをして何の役にたつ?】(高階記)
2016年 06月 05日 (日) 06:30 | 編集
“「そんなことをして何の役に立つ」って? 木が何かの役に立とうなんて考えるか? 太陽は何の役に立とうと思って燃えてるのかい?”(オリヘナッツ・アニシャカート備忘録より)
 
「そんなことをして何の役に立つんだ?」
「何のためにそんなことをしているんだ?」
 
一見疑問文のようでいて、実際には「そんなもん役に立たんだろう」という上から目線の言葉。たまに見聞きするけれど、そもそも「あなたはどうして何かの役に立たなきゃいけないって考えるんですか?」と聞き返したくなることがある。

あるいは、そのフレーズは「あなたのしていることが理解できないくらいに想像力が乏しいです」という自白にすぎない、ということじゃないですかと言いたくなることもあるけれど、波風を立てたくないので黙っている。
【SFPメモ/「会って魅力的」は「善人」を意味しない】(高階記)
2016年 01月 08日 (金) 17:57 | 編集
“よく「あくどい政治家だと思っていたが、会ってみたら魅力的な人物ですっかりファンになった」というような話を耳にするが、ここには根本的な大間違いがある。
 
話して魅力的だということと、その人物があくどいかあくどくないかということは全く関係がない。どんな反社会的非人間的な価値観の持ち主でも会ってみれば魅力的ということはあるのだ。
 
何度も選挙で当選した政治家は魅力的に決まっているので(でなければ何度も当選などできない)、「会ってみたら魅力的だった」という印象をもって評価を変えるなど勘違いも甚だしいのである。”(オリヘナッツ・アニシャカート備忘録より)
 
たとえばサイコパスと呼ばれてきた人たちは、たいてい会って話をするとものすごく魅力的で、その魅力で相手を支配するし、他人を支配することに何の抵抗も感じなかったりするあくどい人間だったりする。これ、常識化すべきだと思う。
ディストピア随想(高階記)
2015年 09月 18日 (金) 08:41 | 編集
明らかに違憲だとわかっている法案を可決するような議会があったとして、そういう議会の決議を無効にする手続きってないのかしらん。あ。一般論としてね。
 
あるいは極めて違憲の疑いが高い法案に賛成票を投じる議員が多数いたとして、そういう議員をすぐさまリコールする仕組みって存在するのかしらん。あ。これも一般論としてね。
 
もしくは安定多数の議席を獲得した後で、選挙時の公約では表に出ていなかったことを民意に反してでも推し進めるような政府が存在したとして、そのやり方に国民が不服を申し立てるような正規の手段ってあるべきなんじゃないだろうか。あ。これもあくまでも一般論としてね。
 
2014年12月からコツコツと書いている「SFPエッセイ」という虚構エッセイのネタを考えていて、ふと「自分がそんなディストピアに暮らしていたら嫌だなあ。どうすれば抜け出せるかなあ」と、とりとめなく考えた随想です。
そのとき自分はソンタグのように発言できるだろうか。(高階記)
2015年 09月 18日 (金) 07:19 | 編集
2001年9月11日の2日後に意見を書き6日後に掲載された記事で殺害予告までされたスーザン・ソンタグこそ最高の愛国者ではないかと高橋源一郎は書く。

これは高橋源一郎の『ぼくらの民主主義なんだぜ』を読みながら書き付けたメモ。スーザン・ソンタグが書いた内容は次のようなものだったらしい。

“まず、共に悲しもう。だが、みんなで一緒に愚か者になる必要はない。テロの実行者たちを「臆病者」と批判するが、そのことばは彼らにではなく、報復の恐れのない距離・高度から殺戮を行ってきた者(我らの軍隊)の方がふさわしい。欺瞞や妄言はなにも解決しない。現実を隠蔽する物言いは、成熟した民主国家の名を汚すものだ”

高橋源一郎によると“この発言は「団結」を乱すものとして、全米で憤激を巻き起こした”とある。ソンタグは売国奴と罵られ、殺害予告をされるまでに至ったが、滞在中だったベルリンからすぐにニューヨークに戻り発言を続けたそうだ。

自衛隊がいつかどこかの国で軍事行動をとる日が来るとして(その国は「反米」ではあるが「反日」ではなく、日本を攻撃する意図も持っていなかったとして)、報復の恐れのない距離・高度から殺戮を行ってしまうとして、憎悪が形成される。

やがて東京か名古屋か京都か大阪か、あるいは第二次世界大戦末期に原爆を落とされた広島や長崎にあたるような別な都市でテロが起きる。大勢の日本人や日本で暮らす人々が命を落とし怪我をし建物や財産や生活が破壊される。

そのとき自分はソンタグのように発言できるだろうか。そうありたいと思う。けれどもソンタグを罵る側にいるかもしれない。家族を殺され、大切にしていたものを壊され、憤怒にかられているかもしれない。そんなことをとりとめなく考え、そんな日がやってこないようにこそすべきなのではないかと考える。

そんな日がやってこないようにする最善の方法は何かと考える。
“現実的な人(リアリスト)”とは“未来が見えない人”
2015年 09月 16日 (水) 10:28 | 編集
2014年1月にツイートした内容の再録。
サティシュ・クマールの短い文を読んでのメモ。時々思い出したい、勇気づけられる出来事たち。

カギカッコ内は『私は楽天家である』(サティシュ・クマール)より引用。

「奴隷制を終わらせるという考えは、当初あまりにも理想主義的だと見なされ、経済にも大きな打撃を与えるものとして否定されていた。」

いま米国に奴隷制はない。

「割とつい最近まで女性に投票権を与えたり、政治に参加させたりすることは無意味なことだと多くの男性が考えていました。」

いま女性が投票権を持たないことなど考えられるだろうか?

「50年前には米国で黒人は投票することさえできなかった」

いま米国で大統領の2期目を勤めているのは誰だ? バラク・オバマだ。公民権法制定が1964年。50年前ならオバマ自身が(その当時のアメリカ市民だったと仮定して)投票することさえできなかった。でも、いまは、もちろん違う。

「南アフリカで、アパルトヘイト制度に反対するだけで撃ち殺されたり投獄されたりしたのは、そんなに昔のことではありません。」

ネルソン・マンデラは解放され、大統領になり、その死を悼んで世界中から要人を含めて多くの人々が国葬に集まった。

ある時代に“現実的な人”が「無意味だ」「理想主義だ」「非現実的だ」「夢物語だ」と切って捨てることが、次の時代には覆った事例の数々。

“現実的な人(リアリスト)”とは、“未来が見えない人”でもあるのだ。
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