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新たなライフワークを発見?(高階記)
2013年 04月 12日 (金) 01:44 | 編集
畏友・本田秀夫氏が初めて一般向けの本を上梓した。
自閉症スペクトラム──10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体』(ソフトバンク新書)がそれだ。

著者の本田秀夫氏とはほぼ40年来の友人だ。出会ったのは小学生時代に通っていた塾。以来、中学、高校、大学と同窓で、教養学部時代にはもう一人を加えて3人でルームシェアをしていた時期もある(もっとも当時はルームシェアなんてシャレた言葉はなかったが)。

大学卒業後は別な道に進んだこともあり(特にぼくがわかりやすく道をはずれたこともあり)、なかなか会う機会がなくなっていたが、卒業後10年を過ぎたあたりからだったか、ルームシェアをしていた3人で年に1度か2度ばかり集まるようになった。

その頃には「本田君」は経験を積んだ精神科医の「本田先生」になっていて、その専門領域の話は道を踏み外したぼくにとっても常に興味津々でいつも考えさせられたり、刺激を受けたりすることが多かった。病気とは何か。健常とは何か。その境目はどこかに引けるのか。ひょっとしたら境界線など本当はどこにもなくゆるやかにグラデーションのようにつながっているのではないか。そんな議論を90年代の半ばごろにはもう聞かせてもらっていた。

彼の専門が発達で、小児はもとより我々と同世代くらいまで患者さんとして担当していると知って驚いた。引きこもりという言葉が広まりつつある頃に、当時の多くの人がイメージしていた「思春期の問題」どころではなく、30歳になっても40歳になっても引きこもりという問題は起きているのだと教えてもらったことも覚えている。

アスペルガー症候群という言葉を初めて教わったのも彼からだった。これまた世の中でその名前が広まるよりもずいぶん前だったように記憶している。それもそのはずで、まだ日本でその病名があまり知られていない時期から,彼は既にしてアスペルガー症候群の数少ない専門家の一人だったのだ。

本田先生(ふだんお互いのメールでは高階、本田と呼び捨てにし合っているのだけれど、ここではちょっとかしこまってみよう)もぼくも、学歴は典型的な高偏差値の学校を渡り歩いてきた。ある時アスペルガー症候群を含む自閉症スペクトラムと言う概念の説明を聞かせてもらっているとき、ぼくはふと気づいて恐る恐る聞いてみた。

「おれ、たぶん、自分自身がそのスペクトラムとかに当てはまってると思うんだけど」

すると本田先生は我が意を得たりとばかりに、にやりと笑って教えてくれた。

「受験校にはかなり高いパーセンテージでアスペルガーや自閉症スペクトラムがいても不思議じゃない。高階も当てはまるだろうし、おれも当てはまる。自閉症スペクトラムの大部分は医者にかかることもなく割とそれなりに社会に適応してやっている。ちょっと変わり者くらいに思われている人が多いけど」

それを聞いていろいろ納得することがあり、その後、自閉症スペクトラムについて話を聞く時には非常に親近感のような感覚を持つようになった。テーマが「我がこと」となったわけである。だから近著『自閉症スペクトラム』が出版された時には、読む前から「これはおれの取説だ」などと半ば冗談めかして言っていたのだが、一読してそれが冗談どころかあまりにも適確なたとえだと感じた。

例えばそれはこういうことだ。

本の中にこんなくだりがある。ぼくの勝手な意訳で書いてしまうが、自閉症スペクトラムというのは言ってみれば少数民族のようなものらしい。本には「人種」とあるが、「種族」と言ってもいいだろう。彼らの多くは(「ぼくらの多くは」と言ってもいい)、例えば「大人への挨拶」をなかなか覚えない。そうでないマジョリティは幼稚園とか小学校くらいで「大人への挨拶」をマスターする。その時期に彼ら(ぼくら)はマスターできない。中学生くらいになるといきなり身につけられるようになる。そういう種族なのだ。単にちょっと時期がズレるだけなのだ。

でも今の世の中では「ちょっと時期がずれるからしょうがない」というわけに行かない。「どうしてこの子は小学●年生にもなって挨拶もできないの?」と親も先生も悩み、時には頭を押さえつけたり、怒鳴りつけたりする。本人も怒られたりするから「自分はダメだ」と思い、保護者も引け目に感じ、先生も無力感に襲われる。そして全員が怒りや哀しみや自己否定を味わう。

本当は「小学校まではできないけど中学校になったらできる」というルールで物事が進んでいるのだから、「小学校まで大人に挨拶できない」ということにおろおろしても仕方がないのに、世の中にはそういう風に思える人はいまのところほとんどいない。ルールを知ってしまうと、怒ることも傷付くことも不毛なエネルギーの浪費なのだけれど、実際にはみんなそういう負の状態に落ち込んでしまう。

もしも「小学校まではできないが中学に入ればできる」というルールを社会全体が知っていれば、何もやきもきする必要はなくみんな穏やかな気持で過ごせるはずの話だ。ぼく自身はそこまで劇的にズレていたという自覚はないが、まわりから見ればきっといろいろ違和感があっただろう。それもこれも「そういう種族だから」で了解できていればあれこれ見当はずれな推測をしたり案じたりせずに済んだわけだ。

     *     *     *

日常暮らして行く分にはとりたてて大きな問題がなく、社会生活も営める人(例えばぼくや本田先生)も含めると、自閉症スペクトラムは10人に1人はいるらしい。社会的な弱者ばかりとは限らず、圧倒的な集中力で偉大な成果を上げる研究者やプログラマ、思い込んだ道を突っ走ってのし上がるワンマンタイプの企業経営者みたいな、いわゆる“成功者”も数多くいる。

そういう人は、ほとんど生活に支障がないけれどコミュニケーションに関して周囲との間にズレや摩擦を生じている可能性は高い。それが原因で本人がストレスをかかえこむこともあれば、まわりがストレスを抱え込むこともある。まわりから変人扱いされて浮いてしまったりいじめられたりする自閉症スペクトラムもいるだろうし、自閉症スペクトラムの上司を持って翻弄されて理不尽な思いに鬱々とする部下たちもいるだろう。

10人に1人いるということは、荒っぽく言ってしまえば、周囲の10人の大半がそのコミュニケーションのズレ問題に巻き込まれているはずだ。でも、もしその人たちのみんなが、さきほど書いたような「ルール」をあらかじめ知っていて、少しでも円滑にコミュニケーションを進めるコツ・TIPSのようなものを身につけていれば、無用なストレスはずいぶん緩和され円滑な意思疎通ができるようになるはずだ。

それは、世の中をずいぶん住みやすく変えることになるのではなかろうか。

ストレスを減らすことができれば、自閉症スペクトラムの人たちが二次的に鬱病や心身症などを発症するのを減らすことができるし、周囲の人についても同様にストレスが原因の疾患にかからずに済むようにできるはずだ。そんなことを考え、ぼくはこの『自閉症スペクトラム』をネタ本に、世の中のコミュニケーションを少しばかりマシなものにすることができるのではないかと考え始めた。まさにそのタイミングで「ミューズ音楽院で本田先生の講演会を開きたいが、手伝ってもらえないか」という問い合わせをもらった。ぼくにとっては渡りに船の話だったので、一も二もなく引き受けた。詳しい情報はミューズ音楽院のサイトを見てください。6/1の午後14時ごろ開講する予定です。ぼくもインタビュアーとして登壇します。

世界がちょっと住み良い場所に変わることに関われるのなら望外の喜びです。どうぞ遊びに来てください。


(追記)
公開講座のUatreamをご覧いただけます。どうぞ!

公開講座「自閉症スペクトラムという『個性』を見つけて伸ばす教育へ」2013.06.01
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