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愛国主義者宣言!(高階記)
2013年 07月 31日 (水) 23:49 | 編集
ぼくは愛国主義者である。

とはいえ、いま一般的にその言葉が与えるイメージの「愛国主義者」とはちょっと違う。

例えばぼくは多神教としての神道を良いなあと思っているが、天皇だけを神と仰ぐような国家神道の青臭さには辟易する。天皇は神かと聞かれればもちろん神が宿っていると答える。でもそれはぼくや、これを読んでいるみなさんや、生きとし生ける全てのものに神が宿っているというのと同じ意味合いにおいてだ。あるいは大木やら大岩やら玄関やら台所やら便所やらに神が宿っているというのと同じ意味合いにおいてだ。

ぼくが好きなのはまるごとの日本だ。記録に残っているだけでも1500年に及ぶ、のらりくらりとした歴史を持つ日本だ。断じて特定の時期の日本ではない。高度成長の日本でも、太平洋戦争に向かう軍国日本でも、付け焼き刃の西洋かぶれだった明治時代でも、ユートピア的に美化されている江戸時代でも、群雄割拠の戦国時代でも、ムロマチ・カマクラの武家政権でも、ヘイアンでもヘイジョーでもアスカでもナニワでもヤマタイでもなく、それら全部ひっくるめての日本だ。美しい自然と恵まれた気候と海の幸やら山の幸やらが育んだ繊細な文化を持ちながら、辺境にあってのらりくらりと(礼儀知らずの田舎者の振りをして)渡り歩いて来た、この少々曲者の国が好きなのだ。

だから「特定のあの時代が良かった」というような偏狭な愛国主義者には困ってしまう。だってそうだろう? その時代の前も日本だったし、その時代のあとも日本だったし、今も日本なのに、どこか特定の時代が良かったというような了見の狭い人には、できれば愛国主義者などと名乗ってほしくない。愛国どころか、その人が認める時代以外の日本がダメということになるなら、むしろ特定の時期を除く大部分の期間の日本を愛していないことになるじゃないか。視野の狭い奴らめ。

愛国主義者という言葉の持つイメージを刷新したい。もしくはこの言葉にまとわりつく偏狭で視野が狭くて頭の固そうなイメージを払拭できないのなら、もっと何か別な言葉を用意するのでもいい。好国主義者でも楽国主義者でもいい。ぼくはこの国が好きだ。今の間に合わせみたいな国家が好きなのではなく、1500年だか2000年だか(2700年だか)このひょろ長い列島で精一杯面白おかしく生きて来た人々の営みやそれを支える自然、つまりたくさんの神々やら妖怪の宿るこの土地と文化が好きなのだ。

そしてたぶん、ちょっと視点の枠を外してみれば、ぼくと同じようにこの国を好きな人はたくさんいるはずだ。ぼくが変わり者なのではない。同じように、おおらかにこの国を、国と言うと大きすぎるなら自分が生まれ育った土地を好きな人はたくさんいるはずだ。そういう愛国主義者たちとなら(好国主義者となら、楽国主義者となら)、のらりくらりと面白い未来を一緒に描くのも楽しそうだと思う。どこか特定の時代に戻ろうとするのでなく、まだ世界中で誰も見たことがない未来に向けて何事かやらかしてみたいと思う。
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