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時間差あまロスのことなど(高階記)
2013年 11月 27日 (水) 20:28 | 編集
図書館から予約した雑誌の『Switch』が届いたという連絡が来て、予約したこともすっかり忘れていたので何ごとならんとカウンターに足を運ぶと、渡されたのは表紙が福山雅治の写真。特集タイトルも当然のことながら「俳優の流儀 福山雅治」。受け取って目次を見ると、なるほどずーっと福山雅治づくし。福山雅治がインタビューを受けていたり写真に納まっていたり対談していたり、福山雅治の出演作の監督や共演者がインタビューに答えていたりするようだ。

いったいぼくは福山雅治の何に惹かれてこの雑誌を予約したのだろうか?

頭の中にたくさんのクエスチョンマークを浮かべながら帰ってきて、再び目次を眺め、じっくり検討して思い出した。雑誌のずっと後ろの方に連載ものの「小泉今日子[原宿百景]」というページがあって、その第七十八回が「アキと春子と私の青春」というタイトルのもので、このエッセイが『あまちゃん』終了後のしばらくしてネットで評判になっているのを見かけて気になって図書館に予約していたのだった。

何が書かれているか、詳しくはやっぱり直接読んでいただくのがいいと思うけれど、例えば「春子がなれなかったアイドル。私がならなかったお母さん。人生は何が起こるかわからない」と書いてみたり、「春子とアキ、私と能年ちゃん。2つの関係が物語を通して同時に進行するという不思議な体験をしている」と書いてみたり、要するにドラマの春子とアキの関係が進んでいくのに合わせ、小泉今日子と能年玲奈の関係もまた進行して行く様子が描かれている。

テレビの前のぼくらがあの半年間、夢中になって、俳優と役を混同しかねないくらいに夢中になって見ていたのと同じように、あるいはそれよりもっと深い意味合いと重みを持って、俳優達の間でも不思議な化学反応のようなことが起きていたのだ。

最終回近く、表参道を歩く春子とアキの姿を思い出し、久々にちょっとだけ、あまロスな気分になった。不思議なことに9月中はあれほど「あまロスになる〜」と騒いでいたのに、実を言うと番組終了後は意外に平気だったのは、その後もたっぷりしゃべれる仲間たちがいたことと、ある意味、気持よく終われたエンディングのおかげだろうか。

だから、今日、キョンキョンのエッセイを読んで感じた「あまロス」は、「ドラマが見られない寂しさや飢餓感」と言うよりは、しみじみと「あの半年は幸せだったなあ」と思い返し、懐かしがる郷愁のようなもののように思う。しばらく足を運んでいないから、ぶらっと表参道にでも出かけてみようか。
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