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ぼくの涙もあんな風に無重力でまるい粒になって空間に漂って行けばいいのに。
2014年 04月 27日 (日) 22:39 | 編集
GRAVITY_01.jpg

2014年3月2日。『ゼロ・グラビティ(GRAVITY)』(アルフォンソ・キュアロン監督)の感想をFacebookに書いた。4月の末に砂の上の企画のみなさんとおしゃべりをしていたら、この映画の話になった。そして主宰の司田氏がこの感想のことを覚えていてくれて、自分でも「あー、あれ、興奮して書いたなあ」と思い出したので、ここに再録する。以下は、3月2日、興奮冷めやらぬ状態でぼくが書いたものです。

     *     *     *

宣言通りネタバレ全開で書く。でもそれじゃ観てない人に不親切過ぎるので、最初はネタバレにならない話(どうでもいい話ともいう)から書く。公開されてからこのくらい経っていれば、関心のある人なら知っているであろう情報程度で、書けることを書く。

まず、この映画の感想は、

ぼくの涙もあんな風に無重力でまるい粒になって空間に漂って行けばいいのに。

という一言に尽きる。たぶんこの一行で全てだと思う。

以上。終わり。

としてもいいくらい。

でもまあ、もうちょっと書こう。

「涙」のことを書いたから付け加えると、別に泣ける映画がいい映画ってものではない。これでもかこれでもかと泣けるモチーフを提示されて想定通り泣かされるけどしょうもない映画というのはあるし、涙腺的にはぴくりともしないのにクラクラするほどいい映画もある。

『ゼロ・グラビティ』に関して言うと、泣けた。無重力を見事に表現した特撮映像が話題になって、予告編の段階から手に汗握るスペクタクルシーンがあって、スペースシャトルとか、ISSとか、神舟とか、デブリとかが出てきまくるSFパニック映画(あ、いや、厳密にはもうこれはSFではないか。WikipediaではSFヒューマン・サスペンス映画と書いてあった。なんだそりゃ)を見て自分が泣けて泣けて仕方なくなるなんて想像もしなかった。

もうちょっと、どうでもいい話を。

思わずパンフレットを買ったという話。ぼくは気に入った映画に限ってパンフレットを買うことにしているのだけれど、今日は映画を見る前にパンフレットの値段を見てしまって「800円! 高え! あ。この時点で高いとか思ったら、きっと買わないよなあ」と思っていたのだが、映画を観終わるなりいそいそと売店に足を運んで買ってしまった。

まあ、そういうわけだ。もう、そんなにネタバレなしの与太話を書き続けるわけにいかない。だからネタバレを嫌う人はここで離脱してくれたまえ。いいかね。悪いけど全部書くよ。すでに映画を観た人はこれを読むともう一回観た気になれるくらい全部書くよ。

それでは参ります。

     *     *     *

いきなり遠慮なく肝心なシーンから書くけど、マットが戻ってきたシーンは、そりゃもうすぐにわかりましたよ。そういうことだってね。だってあんなことしたら、あんなハッチの開け方したら、ライアン、生きていられるわけがないじゃないですか。でも生きていた。そしてマットったら何ごともなかったかのように飄々としてウォッカを取り出したり奇想天外なことがあったんだとテキトーな説明をしたり、生還のための重要な情報を伝えたりして。一瞬「おや?」と思うけど「いやいやそうじゃない」ってわかっちゃうじゃないですか。この時ライアンは酸素濃度も下げてるし、そりゃもう幻覚に決まってるじゃないですか。マットなんて本当はいない。でも、もう、何かそのあたりからぼくは涙が止まらなくなりましたね。スピリチュアルにいえばマットが助けにきたとも取れるし、心理学的にいえばライアンの中の生きようとする意思が解決策を示したともいえる。でもね、そんなのはもうどうでもいいんですよ。マットが一瞬助けにきてくれたのでも、ライアンの生の本能が働きかけたのでも、アルフォンソ・キュアロンの理想が発現したのでも、そんなの何だっていいんです。あんなに美しいシーンはない。コミカルで緊張感に満ちていて愛が溢れていて生きることへの圧倒的な肯定感に支えられている。幻覚から醒めて生きる決意をしてマットに話しかけるシーンなんか、もう台詞(テキスト)の中身なんてどうでも良くて、そうやって娘との死別もけだるい無気力も諦めも全部かなぐり捨てて、たとえこのあと無事に生き延びようと、10分後に死んでいようと、とにかく帰還するためにやることを全部やると決めたライアンの「その状態」に胸揺さぶられる状態になっていた。

実を言うと、ぼくは、あの少し前の、どこの国の人だか分からないアニンガさん(だっけ)と話しているシーンのあたりから、ライアンと同じようにはらはら涙を流していた。その時にさっき上で書いた感想を思ったんですね。「ぼくの涙もあんな風に無重力でまるい粒になってこの劇場の空間に漂って行けばいいのに」って。あれも美しいシーンだった。理不尽と言うほかない形での死を迎えるにあたって、ささやかだけれど美しい救いのあるいいシーンだった。スペースミッションで耳にすることになろうとは想像もしなかった犬の鳴き声と赤ん坊の声が、彼女の最期の苦しみを少しやわらげてくれるかに見えた。

やることはみんなやったよね。と、ぼくも思った。映画館の中のみんなが思っただろう。世界中の観客が思っただろう。冒頭のデブリ来襲で宇宙空間に一人きりで放り出されて以降、「宇宙で起こってほしくないことワースト10」を順番に全部体験してきたのだから。何だか長いものの先にくくりつけられてぶんぶん振り回されて、はずれたと思ったら投げ出されて、ぐるぐる回転して、声は聞こえなくなるし、酸素濃度は下がるし、つかみたいものはつかめないし、不本意に叩き付けられるし、とがったものには警戒しなくちゃいけないし、同僚の無惨な死骸に直面するし、また勢いよく宇宙船につっこむし、やっぱりつかみたいものはつかめないし、不本意に叩き付けられるし、変なものに引っかかるし、切れちゃいけないロープは切れるし、命の恩人の命は守れないし、火事は起こるし、消火器にはふっとばされるし、頭は打つし、気が遠くなるし、炎に追い回されるし、爆発が起きるし、パラシュート引っかかってるし、離脱はできないし、振り回されるし、衝突しまくるし、中国語はわからないし、それからそれから……要するに「宇宙で起こってほしくないことワースト1000」を順番に全部体験してそれを全部乗り越えてきて、やれること全部やってここまで来て、もういいよ、ライアン、君は本当に良くやった。

そう思ったわけだ。

そしてマットがやってきて、ライアンは目覚め、最後の賭けに出た。沈没する神舟から命からがら逃れて岸辺にはいずりあがるライアンの姿は水生動物が陸上活動へと踏み出す姿を思わせた。そこで思わずこぼれる笑い声と「ありがとう」の一言。これほどの説得力があろうか。その時ぼくは気づいた。ライアンが宣言した通り、どんな結末になろうとこれは素晴らしい旅だったのだ、と。そして、ぼくはたったいまライアンと一緒にその旅を終えた所なのだと。

旅に連れていってくれてありがとう、ライアン、マット、サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニー、アルフォンソ・キュアロン。素晴らしい旅でした。
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