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【テツガクしようぜ】②「人権侵害だなんて、何を大げさな」なのか? (高階記)
2018年 04月 29日 (日) 13:04 | 編集
social action lab

書きたいことが多すぎて何から書いていいかわからない。いじめ防災という話、ハッシュタグ#IjiMeTooの話、「発見・対処・予防」という整理の話、王蟲の話、レジリエンスの話、財務省で話題のセクハラの話、イラクの日報の話etcetc…。
 
後ろの方の話題はどれも全然関係ないじゃないかって? とんでもない。どれも密接に関係してくる。まず、そのことを書こう。
 
たとえば「財務省で話題のセクハラの話」。別なスレッドでも話題にしたが、セクハラは人権問題だ。けれど加害者側は「何を大げさな。コミュニケーションを盛り上げるためのただの言葉遊びだ」程度に認識している。いじめも同じだ。いじめの加害者は、あるいはかつていじめの加害者側にいた人は、「何を大げさな。ちょっとからかって遊んでいただけだ。あいつだって笑ってたじゃないか」と考える。それが深刻な人権侵害だった、自分は取り返しのつかないことをした、という風にはまず考えない。
 
かつていじめの加害者だった人が(ぼくもその一人だ。もちろん逆の立場も体験したがそちらは言い立てるほど深刻なものではなかった)、その忌まわしい過去を恥じ入り、口にも出せないかというと、そんなことはない。いじめていた自覚がない場合もある。傍観者だった人はもっと罪の意識がない。いじめがあったことを覚えてもいない。あるいは「ちょっとひどかったけど、まあ、子どものしたことだし」と考える。あるいは考えようとする。
 
そしてそういう人が社会のマジョリティを占めている。いじめに耐えかねて命を絶った人は社会に参加できないし、自己評価を損なわれてボロボロになった人は社会的に不利な立場になりがちだ。結果的に声が大きかったり、物事を引き回している人間の多くが「何を大げさな」と考えるタイプの人になってしまう。
 
大人がそうだと、あるいは社会のマジョリティがそういう価値観を持っていると、子どもも自然にそういう風に感じ、考えるようになる。親や親戚や、同級生や上級生や、場合によっては教師の誰かが必ずそういう「何を大げさな」という姿勢でいるはずだ。子どもがいきなりいじめを始めるのではない。
 
「イラクの日報の話」も同様に、社会の価値観と学校のいじめが結びつく。のだが、長くなるのでこれは次回書く。
 
※FBでは「いじめ問題の解決」については論じません。その話がしたい人は「social action lab(ソーシャルアクションラボ)」にご参加ください。議論があちこちに分散するのは良くないので、ご了承ください。「いじめ問題の解決」というテーマについては、ぼくもラボの一参加者としてコメント欄に出没していきます。
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