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【テツガクしようぜ】⑥「こどもをまもる」のココロ(高階記)
2018年 06月 13日 (水) 13:44 | 編集

こどもをまもるのココロ のコピー
ソーシャルアクションラボ(https://socialaction.mainichi.jp)は、文字通り社会課題ならなんでも扱うラボ(研究所)だと考えている。当然のことながら最初に提案した時点では「防災」を是非入れたいと考えていた。あとその企画をしていた時点では北朝鮮のミサイルがホットな話題だったので、「戦争」も解決の対象だった(ほんの9ヶ月ほどで何という変化!)。「難病」というのも案として出ていた。侃々諤々の議論を経てたどりついたのが「こどもをまもる」だった。
 
これには、個人的に思い入れがある。そのことを書く。
 
文字面だけ眺めると「こどもをまもる」というのは、守られる子どもと、そういう子どもを持つ親にしか関係ないことのように見えてしまう。でも本当はそんな狭い話ではない。未来に向けて社会を根底からごろっと変えてしまうマジックワードなのだ。
 
(1)「こどもをまもる」が実現した未来からの逆算
「こどもをまもる」ということが達成された未来のことを想像してみよう。そこでは子どもたちは殺されないし、身体的にも、精神的にも、性的にも虐待されないし、いじめられることもない。天災でも人災でも戦災でも死んだり傷ついたりすることがない。貧困で学習や挑戦のチャンスを奪われることもないし、性別や外見や信仰や性同一性や心身の障碍や発達の特徴によって差別されることもない。
 
そういう状態を実現するためには何が必要かを考えると、大人たちがそのような社会を実現し、子どもたちにその価値をおすそわけしているということだ。
 
その社会では、大人たちもまた、身体的にも、精神的にも、性的にも虐待されないし、いじめられることもない。それは、ありとあらゆるハラスメントが起こらない社会だということを意味する。
 
その社会では、大人たちもまた、天災でも人災でも戦災でも死んだり傷ついたりすることもない。それは、天災への備えがハードウェアでもソフトウェアでもヒューマンウェアでも徹底しているということを意味する。
 
その社会では、貧困で学習や挑戦のチャンスを奪われることもない。本人が望めばいくらでも知識や技術を身につけていくことができるし、本人がそうしたいと思ったら未解決の課題に取り組んで解決していることができる体制があることを意味する。
 
その社会では、性別や外見や信仰や言語や思想や嗜好や性同一性や心身の障碍や発達の特徴によって差別されることもない。それは多様であることは当たり前の前提であって数や力が優勢なものに無理に合わせる必要がないということを意味する。
 
で、そういう社会であって困る人はいますか? いませんよね? だったら今すぐ実現しようよ、ということなのだけれど、2018年6月13日現在と、その未来社会の間には、残念ながら大きな隔たりがある。これは現実。そこで今度は未来に向けて考える。
 
(2)未来に向けて「こどもをまもる」
今、ここから始められることは何か。「こどもをまもる」ためにできることは何か。どこから手をつければいいのか。上に書いたような未来と現実との間にはあまりにも大きなギャップがあるので、ついつい無力感を覚えてしまうほどだ。でも、これまでも人類の歴史がそうだったように、社会全体の価値観は変えられるものだし、社会のシステムだって変えられるものだ。ぼくらはそっちに向けて進むと腹を決めて、進むのみだ。
 
ここで残念なお知らせが一つ。

大人はすぐには変われない。いま平気で無自覚にハラスメントを行う大人や、災害に対して他人事の大人や、人災や戦災の原因をつくってる大人や、経済格差で他人を支配する大人や、人にランク付けをして差別をするような大人は変わるのが非常に難しい。彼らは、未来に向けて滅んでいく運命にあり、たとえ生き延びたとしても哀れな存在として扱われるような人々だが、今現在は強者として振舞っていて、その立場にしがみつく。だから今すぐはいなくならない。出回ってしまった古いOSは出来が悪くてもなかなかなくなってくれないのだ。
 
だとすれば、できるのは、未来社会の担い手となる子どもたちに向けて、その社会にふさわしい大人に育つような環境を確保することだ。上に書いたような未来を信じる大人たちが、「未来人の卵」を大事に育て、ハラスメントや権力欲や差別に身を堕とさないように導くことだ。
 
もしもどこかの学びの場で(あえて「学校」とは言わない)それを実現できたなら、子どもを持つ保護者はそこに通わせたいと考えるだろう。もしもどこかの街でそれを実現できたなら子育てをする家族はその街に集まってくるだろう。そして子どもたちを通じて、その保護者たちの価値観に変化が起きることも期待したい。古いOSから新しいOSへとインストールされ直すのだ。
 
もしもどこかの自治体が「世界一こどもをまもる!まち宣言」をして、説得力のある制度の改良を進め、実績を上げることができたら、まずそこに人々が流入するようになり、それがモデルとして確立されれば、同様な仕組みを導入する自治体が増えていくだろう。そのような自治体がどんどん増えていけば、やがては日本という国全体にその価値観が広まることを期待したい。
 
最初は確かに、守られる子どもと、そういう子どもを持つ親だけが当事者に見える。でも、その段階ですでに「こどもをまもる」が実現した未来を志向する大人たちが何人もいて、その状態を支えていることを忘れてはいけない。やがてその実践は人々の関心を惹きつけ、より多くの子どもとその家族を引き寄せ、人々が集まるようになってくる。さらには、その評判を受けて方々で同じような取り組みが行われるようになり、その結果、同じ未来を志向する人々の数が指数関数的に増えていくことになる。「こどもをまもる」に取り組めば、「人々を引き寄せ集める」ことにつながり、そのまま「理想的な未来を作る」ことへと流れ込んでいく。
 
昨年の秋、ぼくはそんなことを一所懸命考えていた。1ミリ、世界をいい方へ動かす第一歩として、これほど適したテーマはないだろう、と。
 
   *
  
余談だが、内田善美という漫画家がいて(どのくらいの知名度があるのかわからない。ご存知ですか?)、ある作品中に「子どもは未来からやってきた客人だ。だから大切にもてなして未来に返さなければならない」というような趣旨のフレーズが出てきた。読んだのはもう30年以上前のことだが、この言葉がずっと残っている。たぶんぼく自身が子育てをしていたとき考えていたことの背景にもこの言葉があったと思っている。いまは「未来人」たちに誇れる世界だろうか? そうでないならば、何をどう変えていくべきだろう?
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