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教育の場としての演劇、環境、美術館(高階)
2010年 12月 11日 (土) 22:23 | 編集
美術を素材に(美術館を舞台に?)興味深い活動をする若い友人に
twitterで「演劇教育や環境教育と根っこの部分は同じと言っていいよね」
とわりと感覚的に書いて返信した後でつらつら考えながら
「ほんとそうだよなあ」と考え、まとめてみることにした。

「演劇教育」の眼目はいい芝居をつくれるようになることではなく、
高いコミュニケーション力を身につけることにある、という視点から書く。
いい芝居を作りたければたくさん観て、実作の現場に行って、
勉強したいことがあれば自分ですればいい。

演劇教育の対象はもっと幅広い。演劇を勉強するのではない。

環境教育の眼目も優れた生物学者や生産者を輩出することではなく、
圧倒的な情報量を誇る(とうてい人知の及ぶところではない)自然と向かい合い、
好奇心を高め、無理は無理なりに観察したり発見したり分析したり
解釈することの面白さを体感し、その技法を身につけることにある。

演劇教育同様、環境について勉強するのではない。

演劇教育、環境教育という場合、「演劇」や「環境」は
取り上げたり研究したりする内容・学科のことではなく、
むしろ『演劇の手法」「素材としての環境」を意味していると考えた方がいい。

言ってみるなら「演劇という国、環境という国に留学する」とでも言おうか。
その国で何を勉強するかは自由で、別にその国のことを専攻しなくてはならない
わけではない。むしろその国の研究スタイルや方法論を身につけに行く。

「国」の部分は「文法」「作法」「文化」など
いろいろに差し替えられそうだが要するに「場」かな。

美術館を使ったアクティビティーもやはりそう。
目的は美術館の運営法や展示方法を学ぶことではない。
あくまでその「場」で、美術品というある種の力を持ったものと向かい合い、
ある種の作法というか、平たくいえば作品の面白がり方を体得することが重要。

では美術品(芸術)の持つ力とは何か。
芸術とは「新しい世界の見方、感じ方」を示すものだ。
その作品以前には誰もそんな風に見なかったような視点で、
世界を(風景を人物を)見て描いて造形し、
それ以前には誰もそうは聴かなかったような形で
メロディーやリズムや音色を響かせる。
それが芸術だ。

すごい美術や舞台や音楽や料理やと接するとぼくらは、
それ以前には知らなかった形で世界と向き合えるようになる。
視点が広がり、より深く聴けるようになり、新しい方法で味わえるようになる。

一つの作品が万人に受けると言うことはないから、
「この作品はこう見ろ。こう感動しろ」ということには意味がない。
むしろ自分にとってのかけがえのない作品を見逃すことなく
出会えるチャンスを増やすことが重要だ。アンテナを磨くことが。

そのアンテナは美術館でしか使えないアンテナではない。
日常でも機能する。自分にとってかけがえない瞬間(それは風景かもしれないし、
ひとかたまりの時間かもしれないし、誰かの言葉かもしれない)をとらえ、
味わい、自分の血肉とする能力となる。

というようなことをベースに、
美術館という場の持つ力、演劇(というより舞台づくり)という場の持つ力、
環境教育のフィールドとなる広い意味で自然という場の持つ力に共通したものがある、
というような話を書きたかったんだな、ずっと。

この話はもう少し続けよう。
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