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【不定期連載メモ(3)】失敗したくない症候群
2012年 11月 05日 (月) 18:08 | 編集
前回、「失敗したくないから最初の一歩を踏み出せない人たち」の話を予告した。

その通りの話になるかどうかは書いてみなければわからないがやってみよう。

いつだったか、藤原和博さんを訪ねて杉並区和田中学校の校長室を訪問したことがある。藤原さんが以前に勤めておられた企業が期間限定で設けたイベントスペースにご出演いただくという仕事のための打ち合わせだったのだけれど、仕事と関係なくそれ以前から顔見知りだったこともあり、話はいろいろなところに進んだ。その時に藤原さんがとても面白い喩え話をなさって、それが今も頭に残っている。

ゴルフの初心者に関する喩え話だ。

いろいろ勉強する子は最初の一打までに時間がかかる。本を読んだり動画を見たり理屈を仕入れる。そんなの関係なしにデタラメでも何でも打ってみたい子はまず打ってみる。失敗しても何でも打ってみる。何度もやるうちにちゃんと前に飛ぶようになる。その辺からコーチの言葉を聞くと何を言っているかわかるようになる。その間もお勉強をしたがる子はまだ「芝目を読んだり」「風向きをチェックしたり」してただの一打も打っていない。どっちが早く上達するか。もちろん実際に体を動かした子だ。決まっている。「自己流じゃいけない」とか何とかそういうレベルの話ではない。「打たなかったら永遠に何も始まらない」のである。

もちろんこれは戯画化された喩え話だ。

けれども、これに近いことは実際にあちこちで見かける気がする。ちょっと身の回りを見回したら結構こういう「お勉強をしたがる子」が多いのではないだろうか。やってもみないうちからあれこれ能書きを垂れる人がいたらこの「お勉強をしたがる子」の可能性がある(ぼく自身も自分にはそういうところがあるんじゃないかと実は疑っている。単にものすごく無精なだけかもしれないけれども)。

では、なぜそういうタイプの子が生まれてしまうのか。

これはいささか乱暴な偏見かもしれないが、「最初の一打が打てない子」はペーパーテストで必死になっていい点を取って来た“優秀な”タイプの人に、多いのではないだろうか。ちなみに、ペーパーテストの成績が良くても、他にバカなことをいろいろやっているタイプの人は大丈夫なんですね。ペーパーテストの結果なんていろいろある基準の一つに過ぎないことを知っているから。

そう。ここがポイントなんですね。

「ペーパーテスト」というのはあくまでも一例に過ぎないけれどわかりやすいのでこれを例に話を続けよう。ぼくは何も「ペーパーテスト」廃止論を唱えるつもりはない。こんなのは道具に過ぎないから。でも道具も使いようによっては便利に役立てることもできるし、思いもかけない不愉快な結果をもたらすこともある。

ペーパーテストで必死にいい点を取って来た子は、それ以外の価値基準のモノサシを持つ機会を奪われてしまう。本当は世の中にはいろんな種類のモノサシがあって、それぞれに全然別なすごい世界が広がっている。モノサシの向きも単位も目盛りも色や形や重さや温度もまちまちだ。それどころかモノサシそのものをこれからつくれる世界だってある。そういうことを、いろんな世界を見る機会のある人は早々に肌身でわかる。

何も世界旅行をしろだなんて大袈裟な話ではない。家事や家業を手伝ったり、全然違う仕事をしている友達の家を訪れたり、いろんなごっこ遊びをしたり、人工物が少なくて自然が多い環境で遊びを見つけたり、虫をつかまえたり飼ったり死なせてしまったり、小川をせき止めてダムを造ったり、そういうことをたっぷりやっているだけでモノサシは一つでないことなんか本当は理屈でなくわかる。楽器を習ったり、芸事を覚えたりするのもいいだろう(みんなができるわけではないけれど)。

ところが、不幸にして幼少の頃からペーパーテストが唯一絶対のモノサシみたいな環境にいるといささかまずいことになる。仮に「お勉強」以外の習い事をしていても「絵はこう描け」「音楽はこう弾け」「書道はこうするのが正しい」みたいな環境に身を置くと、大切なのは「正しくやること」であり、気をつけるべきは「間違えないこと」になってしまう。見た目は芸術を習っているようでいて、結局「ペーパーテスト的モノサシ」の押しつけであることにかわりはない。いずれにしても「全てのことにはただ一つの正解があってそれさえできればOK、正解以外はNG」というような行動基準が身に付いてしまう。

「受験戦争」という言葉が言われ始めたあたりからそういう育てられ方をしている子どもはすごく多いのではなかろうか。それこそ幼稚園にまで「お受験」なんていう言葉が広まってしまったのは上記のような状況を裏付けているように感じられる。日本においてはざっと30〜40年間くらいかけて、そういう状況がどんどん進んで来たのではないか。

そういう人たちは「うまくやる/失敗しない」ことが大事なので、人前で失敗したり恥をかいたりすることを極端にいやがる、というよりも恐れる。冒頭に書いた「失敗したくないから最初の一歩を踏み出せない人たち」だ(何とかつながった)。その結果「いつまでたってもゴルフの一打目を打てない」人になってしまう。

↑もちろんこれは極論だ。論理に飛躍があるだろう。でもおおまかな認識としては間違っていないだろう。ぼくは子どもたちに「ペーパーテスト的なモノサシ」だけを押し付けるべきではないと思う。それはたくさんあるモノサシの中の一つに過ぎないことを大人がまず理解しなくてはいけない。

対極の姿を示すなら、子どもは森に連れていった方がいい。

でこぼこの地面を踏みしめ、ぬかるみで転び、どろんこまみれになって、風に吹かれ、太陽のきつい日差しや木漏れ日や岩陰の闇など数えようのない色と光りに触れ、ありとあらゆる匂いに取り囲まれ、遊び道具は全てその場で見つけたものと出会う生き物達だけで目一杯遊ぶといい。

誰かが設計した建物の中で、誰かが用意した問題の、ただ一つの正解を、喜びもなく答えることなんか、たまにやればいいことであって、のべつまくなしにやるようなものではない。
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