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【不定期連載メモ(4)】再びハートに火をつける話
2012年 11月 05日 (月) 20:25 | 編集
【不定期連載メモ(3)】では、「失敗したくない症候群の人が、時代とともにどんどん増えていく一方なのではないか」ということを書いた。

「失敗したくないから最初の一歩を踏み出せない」
「正しくやりたいからゴルフの最初の一打を打てない」
「事なかれこそが大切なので“余計なこと”をしない」

この30〜40年ばかりの教育がそういう人を量産する上で大いに力を発揮してきたであろう、というような話だ。

でも、これではいささか話が暗すぎる。そのまま終わってしまっては、「じゃあもう日本はダメだな」みたいな投げやりな感じで終わってしまう。違う違う。そんな話をしたいわけじゃない。ここで書きたいテーマは初回から一貫して変わらず「ハートに火をつける」話だ。

失敗したくない症候群の人たちであってもハートにつけることができれば、あるいはハートに火を取り戻すことができれば、未来は明るい。個人は柔軟な頭と身体を取り戻し、組織は「事なかれ主義」の弊害から脱することができる。

     *     *     *

さてここからは「ハートに火のついた状態」についての考察をしたい。

ぼくの前提は、「ハートに火がつく」ことは特別なことでも何でもないということだ。誰でも最初はすぐにハートに火がつくものであって、それが人によってはいつまでも保たれており、人によっては成長のどこかの段階で損なわれてしまうと考えている。

(ちょっと中断。続きはまた)

     *     *     *

長い中断をしてしまった。

誰でも最初はすぐにハートに火がつくものだということに関しては、やはり、子育てをして改めて気づいたことが大きい。ぼくの場合は自分の子供を育てるまでは、ずいぶん長らく身の回りに小さい子がいない状態が続いていたのだけれど、もしも身近に小さい子どもがいる人の場合は、もっと早く気づいている人もいると思う。

生まれたばかりの頃は声を上げてなくこと以外はほぼ何もできない生き物だった赤ん坊が、生まれてから最初の数年間に獲得することの多さには驚嘆するばかりだ。口から栄養を取ることを覚え、吸うことを覚え飲み込むことを覚え噛むことを覚える。それまで一度もそんなことしたことないのに、だ。

握ることを覚え、聞くことを覚え、見ることを覚える。それも握り方、触れ方、触れたものの違い、聞き方、違いを聞き分けること、音の出どころを特定したり距離を類推したりする方法、見方、見分けること、見ているものを識別しその空間配置をとらえること、そういったことを一度もやったことがないのに、どんどん身につけて行く。

やがて道具を使うようになる。食べるための道具。飲むための道具。持つという段階から、使うという段階に進む。声の出し方が複雑になり、だんだんに母国語らしく音を出すようになる。偶然のように単語を口走り、それを承認されたり修正されたりして、「言葉に意味がある」ことを体得する。

言葉を並べることで要求を伝えたり、何かを拒絶したりできることを知る。さらに単語を並べ、助詞を付けたりして、文章をしゃべるようになる。そんなことをたった1〜2年のうちにやってのけるのだ。スキンシップと話しかけさえしていれば、アメもムチの無用でそういったことの全てを身につけて行く。

それはつまり、昨日できなかったことを今日できるようになることは、基本的に「喜び」だからなんじゃないかとぼくは考えている。科学的な裏づけがあるかどうかは知らない。たぶんそういう研究はあるだろう。でもアドレナリンがどうした、ドーパミンがどうしたと言うまでもなく、「できなかった何かができるようになること」は喜びなのだ。

二足歩行だなんて不自然なことを、ほとんど全てに近い個体がやってのけるのなんて、アメやムチで説明がつくものではないし、アメやムチではまず実現できないだろう。

この話はまた稿を改めて話すことにしよう。
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